例えば、ちょっと遅刻する
例えば、ちょっと嘘をつく
例えば、ちょっと休み時間を長くとる
そういった「少しのこと」って、許される、という職場もあると思います。
少しだと、目をつぶってくれる。この前目をつぶってもらったから、今日は私が目をつぶろう。みんなやっているから、私もいいよね、というように。
モラルの崩壊っていうのは、大抵少しのことから始まります。
日本人は基本的に勤勉な人が多いので、ルールがあれば守ろうとすることが多いのですが、いったんモラルが崩れ始めると、いわゆる「なあなあ」になって、職場のルールがあっという間に形だけのものになります。
これらを、ブロークンウインドウ理論と言います。
犯罪学者ジョージケリングが考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方です。
ピッカピカに掃除されたところを散らかすのって、結構勇気がいりますよね?
逆に、乱雑に置かれた本。書類の山。こういうものを放置しておくと、少しその書類の山が高くなったとしても気にしない…ということが当てはまります。
一見、他者に寛容であることはよいことだと思われると思います。
ただ、寛容であるということと、だらしないということは同一ではないのです。
なんでもかんでもルールの通りにやろうとするのは、少し窮屈ですが、人間が2名以上いる時、あるいは、今後目標があり、それはある一定度の秩序が必要な場合には、自分に少しだけ、ルールを課すとよいと思います。
例えば、1日30分だけは勉強する。
あるいは、1日10問だけは問題を解く。
1日30分だけ、本を読む、でもいいのです。
秩序とルールは厳密には違いがあるでしょうが、どちらも、目指す場所へ自分達を連れて行ってくれるために補助的にあるものであると考えています。
あなたの中には、どんなルールがありますか?
最近は、コロナウイルスの関係で、手洗いうがいをしっかりやる人が増えているのではないかと思いますが、そういったことがルール化していけば、新しい秩序、新しいルール、新しい生活習慣が構築され、日本人は(あるいは世界の人も)、また少し公衆衛生上ランクが上がるのかもしれません。
あなたの未来に向かって必要なルールを、今から少しずつ構築していくのは、
アフターコロナとしては非常に良い手段なのではないでしょうか。
管理職の皆さんは、ルールをどんどん作っていくことに、自分自身が息苦しさを感じることもあると思います。ただ、必要なルールは、しっかり運用をしっかりしていくことが必要であるということが、この理論からお分かりいただけるかと思います。
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