患者さんとの信頼関係は必要か?

16日に、第一回のWEB研修会を開催しました。30名以上の方に申し込んでいただき、質問もたくさんしていただいて、個人的には非常に充実した時間になりました。
その後、参加者の方からメッセージをいただいたり、等、非常に励まされましたし、今後に向けて十分に反省をし、今後もよい研修会を開催できたら、と思っております。
話をしていて、少し説明がうまくいかなかったな、と思ったところがあったので、書いておこうと思います。
「患者さんとの信頼関係は必要か?」という話です。
これは、精神科に限らず、全般的に言えることなんですが。
リハビリテーション職種、いや、医療職種の多くでは「ラポール形成」「信頼関係の構築」って、非常に強く指導されるところであり、あるいは、これができないと医療者失格的な扱いをされることがあります。実習生の申し送りにも本当に頻回に書いてあるように思います。
この現状に対して、実は以前から非常に強い不満があります。
ちなみに、「チーム医療」という言葉もそうです。
これも、すごく言われますし、なんならできて当たり前でしょ的な言われ方をするわけです。
どんないい方でもいいんですが、人間関係の中で、信頼関係が完全無欠の相思相愛って、結構ないと思うんですよ。
自分でない誰かのことを、完全に理解して、完全に理解してもらって、全幅の信頼を寄せられる人が何人もいるって人、います?
私、一人もいないです。そんな人。
なんなら、家族に対してもそうですし、子供に対してもそうです。完全に理解なんてしてませんし、今後も理解できることなんてあるのかな、って思います。
相手を理解し、信じられるような関係性を目指すことが大事なことだ、というのは一部分理解できますが、一部分では「それが目的なのか?」という気持ちが沸き上がります。そういう意味で、私にとっては相手を理解し、信じられるように心がけることはあっても、それはプロセスであり、目的ではない、と思っているんだと思います。
例えば、医療の現場では、同僚と、あるいは患者さんと信頼関係を結ぶことが目的ではなく、より良い医療を提供し、相手に今よりも幸せになってもらうことが目的で、信頼関係、ラポール形成云々は、そのプロセスの一部なんではないかと思うのです。
そうすると、プロセスは、何通りもあっていいわけで、人によって正解が違うことも多いので、むしろ大事なのは、そのプロセスの多様性を理解し、受け止める柔軟性であると思うのです。
そうすると、信頼関係を構築しないと、いい医療はできない!っというのは、途端に硬直した考え方に思えてしまうし、学生さんや若い人をそうやって抑え込んでいる人を見ると、なんだかちょっとイラっとするんですね。
信頼関係を築けた、ラポール形成ができているというのは慢心で、常に相手をいい意味で「疑い」続けることは、相手の治療に対して、生活に対してのプロセスの理解につながるように思います。「知れている」「わかっている」と思った時点で、相手のことをそれ以上知ろうとしないことが多いのではないでしょうか。それであれば「疑い」続ける方がいい。
それは、表面上相手を信頼していることにはならないけれど、長い目で見たら、疑う方が、相手に対して誠実だと思うのです。
そのプロセスを理解する度量、知識、経験、技術が足りない若い方に、「ラポール形成が不十分」と評価を下す前に、どうやったらそのプロセスを、その若者が理解できるかを指導できたのか、教えて導くことができたのか。自分が指導者の立場であったなら、自分こそ反省した方がいいと思うんです。
なので、冒頭の「患者さんとの信頼関係は必要か」は、「=」ではない、というのが私の現状の考え方です。

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